お歯黒には、虫歯予防の効果があった?
みなさんは、お歯黒を模して、海苔を歯につけて写真を撮ったことはありますか?私自身は恥ずかしくて、挑戦したことはありませんが、お歯黒の写真撮影会は楽しい場であることは間違いないですよね。
今は、歴史の勉強時と、お笑い写真撮影の時しか、話題にならないお歯黒ですが、日本では長い間、古くからの文化として浸透していました。今日は、そのお歯黒について少し掘り下げてお話をしてみたいと思います。
お歯黒の起源
古墳の時代から、お歯黒の跡のある骨や、はにわが発掘されているようで、起源はかなり昔にさかのぼります。時代の流れとともに、お歯黒をする人の対象が変わっていきました。平安時代には、お歯黒が成人男女の貴族の身だしなみとされていました。その後の戦国時代では、武将が首を取られてもきれいでいられるようにと、化粧とお歯黒をして戦場に出向いたという話もあるそうです。江戸時代になる頃には一般大衆まで広がり、婚姻が決まった女性や結婚後の女性の証として定着したと言われています。
文化
お歯黒の黒さは長く維持できるものではなく、「一度染めたら終わり」ではありませんでした。結婚した女性は、身だしなみとして、毎日歯を黒く染める作業が必要だったのです。鉄を原料とした水とヌルデの葉の虫こぶ※から作った粉を交互に筆で、1本ずつの歯に塗っていくことが必要で、とても大変な作業だったと思います。
黒船で有名なペリーは、笑うお歯黒の女性を見て初めはとても驚き、その後もよく思ってはいなかったようです。とても詳しくお歯黒について記録しています。さらに「既婚女性が常に厭わしい歯黒をしていることを除けば、日本女性の容姿は悪くない。」と書き残しています。意訳すると、お歯黒じゃなかったら、もっときれいだったのに。ということでしょうか?
(在NY日本国総領事館 https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/150th/html/exepi2.htm)
その後、来日した外国人たちの中には、お歯黒文化を女性差別だと考える人もいたようで、明治政府が批判を受けることになりました。明治6年にお歯黒禁止令が出てもなかなかな止められない文化でしたが、明治天皇と皇后がお歯黒をやめることで、浸透した文化が廃れていきました。
※ヌルデの葉の虫こぶ…ウルシ科の落葉小高木。名は、樹液(漆(うるし))で物を塗ることに由来する。虫こぶは、おもに昆虫が産卵、寄生することによって植物体組織が異常肥大成長してできるこぶ。
お歯黒の効果
お歯黒をしている人には、虫歯が少ないということが当時から分かっていたようで、「お歯黒の女性は医者いらず」という言い伝えもあったほどです。理由は2つ、「歯を丈夫にするお歯黒の成分」と「丁寧な掃除」があったからです。
歯を黒くするのに使っていた成分「かねみず」には、鉄分が含まれていました。その鉄分が、歯の成分であるリン酸カルシウムCa(PO4)2を強化して、歯を丈夫にする役割を果たしていたと言われています。
また、ツルツルした歯に色を付けて染めることは簡単ではなく、楊枝などで丁寧に歯の歯垢を取り除く必要がありました。歯を染める準備として、女性たちは毎日歯磨きをしていたということですね。毎日きれいに歯を掃除することが、虫歯予防につながるというのは言うまでもありません。
お歯黒が一般的だった当時はとても美しい姿として扱われていたようですが、改めて考えてみても特異な文化だと感じます。時代や文化によって、美しさの基準が移ろうように、流行りすたりも長い歴史の中で見れば一瞬のものかもしれません。
海苔を歯に貼ったお歯黒の写真も、素敵な思い出の写真の一枚ですが、きれいな歯の輝きで撮った写真は、きっと100年後に見ても美しいはず。美しい歯を維持するには、毎日のお手入れが大切であることを忘れないでくださいね!