歯みがきの歴史から虫歯予防を考える

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歯みがきの歴史から虫歯予防を考える

こんにちは!プラザ若葉歯科ブログ担当の佐藤です。

みなさんは、歯みがきの歴史をご存知ですか??

歯のケアといえば昔も今も歯みがきです。歯みがきは、時代と共にどのように変わってきたのでしょうか。過去を振り返って最善策を検討してみましょう。

歯ブラシの歴史~歯ブラシの起源は釈迦の教え!?~

10万年前のネアンデールタール人の化石を調べると、アジアでもヨーロッパでも歯に縦筋が見られます。人類学者は、この筋が堅い楊枝で歯を強くこすったからできたものに違いない、と考えています。また、チンパンジーの仲間には、木の枝で歯をみがくものがいることが報告されていることから、この木の枝が楊枝(=歯木)や歯ブラシの始まりだったと考えられています。

日本に楊枝が伝わったのは、奈良時代です。仏教と共に伝来したといわれています。お釈迦様(紀元前500年)は、木の枝で歯をみがくことを弟子たちに教えました。これが楊枝と歯ブラシの元祖だと考える人もいます。

平安時代の終わりには、僧侶が使った楊枝が貴族から庶民へと伝わり、室町時代には、房楊枝と同様、先端を鋭く尖らせたいわゆる「爪楊枝」も使われました。江戸時代には、一方が毛筆のように房状になっており、さらにその柄の部分はカーブしていて、舌掃除に使うものがありました。

そして楊枝は房楊枝(江戸時代)と進化します。房楊枝は、楊柳の端を叩いて房状にした約12㎝ほどのものです。洗顔時に、房州砂に竜脳、丁子、じゃこうなどの香料を混ぜた歯みがき粉や下総の行徳塩、吉良の焼塩などの歯みがき塩を小皿にのせて房楊枝につけてみがいていました。明治のころには鯨の髭(歯)を使った西洋式の鯨楊枝となり、現在に至ったとされています。

現在でも歯木を使っているインドやアフリカなどでは、伝統的な歯木やスーク(市場)で売られています。枝の一端をかんでブラシ状にして使うのが一般的ですが、クルミなどの乾燥した木の皮を2~3センチの幅に切って使うことも多いようです。歯木といえば原始的に思われますが、使われる木はいずれも葉木で、この樹液の中に含まれるフッ素やタンニンの抽出液を使った練り歯みがきも作られています。

歯みがきの歴史~歯磨き粉は古代エジプトからあった!?~

外国では、歯みがきはどうしていたのでしょうか?古代エジプト(紀元前3000~1500年ごろ)では「練り歯みがき」と「粉歯みがき」のことが、全長21メートルのパピルスに詳しく記されています。それによると、ナイル川が氾濫したときに運ばれた肥沃な緑粘土を、研磨剤として使ったということです。帝政ローマ時代には、動物の骨を焼いた骨灰や、卵の殻を焼いた灰を用いて、歯磨き粉を作ったそうです。

日本では古来、塩で歯を磨いていましたが、歯磨き剤として商品化されたのは江戸時代とされています。当時の歯みがき剤として商品化されたのは江戸時代とされています。当時の歯みがき剤は砂や陶土を使っていて、相当、歯がすり減ったであろうと想像されます。

余談ですが、明治時代以前の日本や中国南東部・東南アジアにはおもに既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める「お歯黒(おはぐろ)」という化粧法が広まっていきます。お歯黒をきちんとつけるには、歯垢を取り除かなければならず、お歯黒の成分にもむし歯を防ぐ成分が含まれていて、虫歯予防にはかなり効果があったそうです。

明治時代になってからは、海外から安全な研摩剤成分が入ってくるようになりました。明治44年(1911年)には、ライオン歯磨本舗(小林商店)が日本初のチューブ入り歯磨き剤「ライオン固練りチューブ入り歯磨」を発売しました。

歯みがきの普及活動として、ライオン歯磨本舗は、早い時期から歯磨き教練に取り組んでいました。

大正11年(1922年)ごろには、すでに小学校に専門の講師を派遣して、実施指導を始めています。やがて、指導のための小冊子「学校に於ける者磨教練の実際」を作成したり、歯磨き剤や歯ブラシの頒布活動も拡大させていきました。「歯磨体操」というものを集団で行う歯磨き指導によって、歯磨きの習慣がだいぶ定着したそうです。昭和3年(1028年)には日本歯科医師会が、6月4日を「ムシ歯予防デー」と制定して、ムシ歯予防を訴える多くの活動も行うようになりました。

こうして歴史を振り返ってみると、歯ブラシも歯のみがき方も時代によって違い、どんどん進化して今に至っていることがわかりとても興味深いですね。

昔も今も大事なテーマである歯の健康のため、先人たちの知恵に感謝しつつ、いつまでも歯を大切にしていきたいですね!

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